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高清水村(近世) 江戸期~明治8年の村名蒲原郡のうち阿賀野川支流常浪【とこなみ】川中流域右岸もとは野中村と一村であったが,寛永6年に野中村と当村とに分かれたはじめ会津藩領,文化8年幕府領,文政3年からは再び会津藩領村高は,文禄3年高目録帳では野中・高清水として428石余,寛永20年保科正之拝領高96石余,「元禄郷帳」91石余,「天保郷帳」203石余元和6年には御役漆木1,052,寛永14年には鮎役30を負担(津川旧記)宝暦5年には御役紙4束を上納明和3年上条組産業書上帳には,紙漉,塩俵編み,川猟が記される文政3年庄中御高免相有人馬改帳では,高203石余,うち本田132石余・新田67石余,戸数30・人数167,馬20寺社は,真言宗高水寺,諏訪神社がある(新編会津)明治8年の戸数30・人口176(若松県管内地誌)同年両郷村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
高清水村(近世) 江戸期~明治9年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」